お盆が終わりました。今年は7月が涼しかった分、梅雨明けの後の急激な暑さが堪える夏になりましたね。それに加えてコロナですからバタバタとしているうちに過ぎていってしまった、というのが正直な印象です。お盆はご存じの通り、ご先祖の仏さまがあの世から帰っていらっしゃるといわれています。13日から15日にかけて、当山ではその仏さまをお寺に迎えにきてお参りし、自宅に連れて帰って、そこに住職がお参りしてご供養する、いわゆる棚経を例年行っておりますが、今年は感染拡大防止の観点から、新盆の仏さまをお迎えになる檀家さんのみとしました。いつもよりも少しゆっくりと施主さまとお話ができ、仏さまの生前のお話、コロナ禍でのお仕事の現状、「ホタルのポスト」のお手紙を書くのに苦労されたこと、政治のこと、因と縁のはなし、など駆け足で修行するだけでは聞けない広い範囲のお話ができてこれはこれでよかったのではないかと思いました。正直なところ少し心配していた本堂へのお参りも、例年と同じか、少し多いくらいの檀家さんがお参りしてくださったようで、皆さんのご先祖への気持ちが伝わってきてとても嬉しく、有難いものを見せていただいた気が致しました。先祖を想う気持ちは、即ち生きている人々を想う気持ちと同じです。そのあたたかいこころが良い縁を紡ぎ、私たちの人生を導いてくださるのだと思います。そしてまた、手を合わせて思うのです。「ご先祖さま、ありがとう」と。
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ホタルのポスト
長雨がようやく止んで、梅雨明けが近づいてきているようですね。お寺もセミの鳴き声が聞こえてきました。Web蓮台は間が空いてしまいましたが、その間に檀家さんや善光寺如来の信者さんへのお盆や護摩法要の連絡を発送を行っていました。今年は例年の通り、とはいかずコロナの感染拡大を防ぐため、盆棚経は新盆のお宅のみに限定して行うことになりました。護摩法要もお堂が密になってしまうため参拝はご遠慮いただき、写経の会などのサテライトイベントは中止することになりました。
さて、今日の題名にした「ホタルのポスト」は、主に新盆の方に書いていただいている、仏さまへのお手紙を投函していただくポストのことです。最明寺の境内は2本の小川に挟まれています。根岸山に降り注いだ雨が清水となって流れており、その水は上下水道が整備されるまでは簡易水道として生活用水になっていました。その小川には5月の終わり頃からホタルが飛び始めます。ゆらゆらと弧を描きながら墓地との境界でもある小川の上を飛ぶホタルを眺めていると、まるで彼岸と此岸を結ぶメッセンジャーのように思えてくるから不思議なものです。そんな想いから生まれたのがこのポストでした。指先で、予測変換、自動翻訳、瞬時に送信、返信、が可能になった今、自分で言葉を選び、ペンや鉛筆、筆で手紙をしたためる、というのは思っていたよりずっと送り主のことを考えないとできないものです。その手間暇が、言えなかった言葉、伝えられなかった言葉、聞きたかったことなどを心から紡いで文字の糸ができ、仏さまへ繋がっていくのでありましょう。糸の先っぽはホタルが運んでくれて、見えない糸電話でつながっているかのように。
今年はコロナ禍ということもあり開催できませんでしたが、来年はお手紙を書く催しもきればいいな、と思います。
蓮が開花しました。
境内の蓮が咲き始めました。白の静御前と浄台蓮です。
泥の中から美しい花を咲かせる蓮。
煩悩にまみれたこの世から悟りの花が咲く、ということでお寺や仏教には馴染み深いですね。
毎年植え替えるときは残す根っこを選ぶのですが、大事なのが根っこなのは人間と同じなのではないかと思ったりします。
かといってどんなに太くて育ちそうな根っこを植えても、肥やしや陽当たりが良くないと花は咲きません。鉢が小さすぎてもまた然り。この辺りも人と似ているなぁ、と親になって思います。
親は親で手探りなのですが、なるべくならいい器、いい肥やし、いい陽当たりの場所を用意して、時には風から蕾を守る葉になって、子には大輪の美しい花を咲かせてほしいと願うのが時代を経ても変わらない親心なのではないでしょうか。
「御朱印でめぐる神奈川のお寺」の紹介
ダイヤモンド社から発売の「御朱印でめぐる神奈川のお寺」に紹介していただきました。寺歴や特徴など簡潔によくまとめてあります。ご縁のある最乗寺様が隣のページで嬉しいです。御朱印のついでに?仏と四季を感じていただければいいなと思います。画像のデータが容量オーバーで表のみの紹介です。よろしければお手に取ってみてください。
メダカの赤ちゃん
今日は気温が上がって梅雨入りの近さを感じる蒸し暑さでした。お寺の蓮の鉢で買っているメダカに赤ちゃんが生まれました。卵を抱えているのを見つけたら鉢にシュロを入れておくと産卵するので卵は親と別にしておきます。食べちゃうので…。ちっちゃくて透き通ってます。クロメダカは生まれたときから黒いんですね。大きくなったら池に放します。大きくなってまた来年卵を産んでほしいですね。
カエルに見る「兆し」
3月、池に産まれた卵からオタマジャクシを経てちっちゃなカエルが池を巣立って?いきます。人の指先ほどの大きさのアズマヒキガエルです。昨日の雨を待っていたようであちらこちらに散らばっていきます。大きくなってまた池に帰って来てね。
今年は卵の数が多く、オタマジャクシが池の一部や側溝を真っ黒に埋め尽くしているほどでした。カエルに限らず椿が例年になく花をたくさんつけたり、石楠花が牡丹より先に開花するなど、「何か」を感じざるを得ません。「兆し」を感じとるチカラが問われているような出来事が多いですね。
満月があらわす心
満月で本堂の屋根が照らされてきれいでした。じ〜っとして外を眺めているだけでも心は鎮まります。仏教ではしばしば人間のこころをお月さまに例えることがあります。満ちたり欠けたりする、ということでしょう。なるべくならまんまるな心でいたいものです。
第3回木彫り御守地蔵製作ワークショップを開催しました。
去る11月17日、今年で3回目となる木彫の御守地蔵製作ワークショップを開催しました。ご近所の檀家さんから遠くは東京からお越しいただいた方もいらっしゃいました。偶然ですが、住職の古巣であるN社にお勤めの方もあり不思議なご縁も感じます。講師にはおなじみの山崎仁先生をお招きし、丁寧にご指導いただきました。リピーターの方もちらほらと。「六地蔵だから6回やらなきゃ」という声も。自身の心中にある地蔵を彫り出して差し上げる、気持ちで彫り始めるとあっという間の3時間。本堂には使われた楠の香りが漂い、心も清められたのではないかと思います。同じお手本を見て彫っても、それぞれに個性があるお地蔵さま。きっと功徳にも広がりがあるのでしょう。ご来山いただいた皆様、講師の山崎先生、どうもありがとうございました。
盆棚経と新盆供養
お盆の棚経が終わりました。
お勤めをしながら日頃お会いできない檀家さんとお話をしたり、お昼をご馳走になったりして慌ただしくも楽しい3日間でした。特に今日は台風の影響で雨に濡れて足袋は汚れる、スペアの足袋も濡れる、石に滑って転びそうになる、犬に袖を噛まれる、猫が念珠に戯れてくるなど近年になく笑えるハプニングも多かったです。
新盆参りでは、子供たちに「戦争」の話をしました。戦渦と戦後を耐えたご先祖がいて、今の私たちの暮らしがあること、歴史だけではなく、今もニュースが伝えている戦争、伝えていない戦争が世の中にあること、日本だって無関係ではないこと、政治が決めることは私達が決めていることだから選挙に行った方がいいこと、選挙権すら先祖が勝ち取ってきたものであること、たくさん話したからどれか一つのトピックでも伝わればいいなぁと思います。
2月の掲示板 お釈迦様の言葉
掲示板シリーズ
最明寺の参道に掲示板ができました。設置されたのは少し前です(汗)。
月替わりでお大師様やお釈迦様の言葉を貼りだしています。催しの案内も時々。
今月は15日が涅槃の日なのでお釈迦さまの言葉にしました。
「我らはここにあって死ぬはずのもの」と覚悟しよう
この理を人々は知らない
しかし この理を知る人々があれば 争いは鎮まる
お釈迦さまはこの日、沙羅双樹の木の下で弟子や森の動物、植物、生きとし生けるものすべてが涙を流して
見守るなか涅槃に入られたといいます。80歳ぐらいだそうです。35歳で仏陀(ブッダ)になってからインド中
を旅して説法する人生でした。入滅の時、弟子たちに説いた言葉「自灯明 法灯明」は今でも語り継がれている
大切な教えです。「自分自身だけを拠り所としなさい、正しい教えだけを拠り所としなさい。」お釈迦様自身も、
もちろん自分がこの世で与えられている時間に限りがあることを重々ご承知でありました。当時のインドは争いが
絶えず、お釈迦様がお生まれになった国「カピラバストゥ」も戦争で滅びました。争いで知人、友人を何人も亡く
されたお釈迦様が、どんなに無念であったかが想像できます。死は絶対に免れないものなのに、どうして争うのか
もっと限られた時間を別のことに、、、という想いがあったことでしょう。
死という絶対可否の運命を等しく背負って、限りある時間を共有している私たち。
死を前にして、すべての争いは無意味であると分かるだろう。
死を前にして、命は尊いと気づくだろう。
私のも、隣人のものも。